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ひっそり田舎暮らしは自分と向き合う技術が必要

激務な会社に勤めていて強烈なストレスにさらされている人は「今の社畜生活から脱出すれば」と思っているかもしれない。でも、脱出したところで、また別の大変さが湧いてくると考えるとどうだろうか。考えればキリがないが、僕は都会から限界集落に移住したが、都会にいた頃よりも強いストレスにさらされた経験がある。


そんな痛烈な経験を経た僕は、紆余曲折あってストレスの原因となる人間関係もほとんど削ぎ落として生活するようになった。そしてどうなったかというと「自分の生き方はこれでいいのか?」という不安に悩まされるようになった。「いや、原因全部削ぎ落としたのになんでこんなに不安になるんや」というくらいに不安になるようになった。


外的要因のストレスが少なくなると、これまで霞がかかっていた自分の気持ちと対峙する必要が出てくるのだ。新しく事業を始めると、軌道に乗るまで時間が掛かるし、先も見えにくいし、収入も少ない。そんな中で人との関わりを断つと、1人でその不安と戦う必要が出てくる。


どうやら不安というのは、人類が農耕をはじめてから身につけた能力らしい。確かに食料確保の不安を覚える人でないと、半年も前に種をまくなんてことはできなさそうだ。ぼーっとしていても作物が生えてこないというのは、野菜を作って売っている僕には嫌というほどわかる。日本人も農耕民族なので、不安を覚えやすいのだろう。

一方で、狩猟採集民族には不安という概念は希薄らしい。後先考えない行動をわりと平気でとれるそうだ。今でもアマゾンに暮らすピダハンという狩猟採集民族は、次に食べる食料がないのに踊りたいという気持ちを優先して三日三晩踊り続けるという、我々日本人には到底理解できない行動を取るそうだ。


農耕民族と狩猟採集民族のこの違いは、未来を想像せず今に集中するか、しないかという点にあるそうだ。農耕民族に生まれた僕らは、未来を想像する癖がついてしまっている。じゃあ、僕らは未来を想像して不安に苛まれるしかないのか?とかつて絶望していたが、今に集中する訓練をする方法があると、数年前に知った。それが「瞑想」だ。


瞑想にはいくつかの種類があるのだが、呼吸に意識をおくものが一般的だ。吐く息や吸う息に意識を集中して、思考が浮き上がってきたらまた呼吸に意識を向けて、頭の中に浮き上がってくる思考ができるだけ続けないように跳ね除けていく、こうすることで未来をできるだけ想像しない時間を作るのだ。


僕が時々やっているものは吸うときに1を頭の中で数え、吐くときに2を数える。次は3を数えて吸い、4を数えて吐き、それを10まで繰り返したらまた1から…というもの。これをおおよそ10分、タイマーをセットしてやるのだが、この瞑想をすると不安感が軽減される。仕事が忙しくなるとついつい忘れてしまうのだが、体の疲労がたまってくると、不安感に苛まれるようになって、また再開するというのを繰り返している。


この訓練を続けると、不思議と不安感が少なくなり、今やるべきことはなにかを見定められるようになる。今やるべきことはなにか冷静に判断できるようになると、自分のペースと自分の満足感を軸に行動ができるようになる。休むべきなのに、不安にかられて睡眠時間を削って仕事をすることもなくなる。無理しすぎない生き方を模索しに田舎に来たのに、セルフブラックな生活をしてしまうという人には特に瞑想が合うと思う。セルフブラックになってしまうのは十中八九、不安が原因だからだ。


人との関わりを減らしてひっそりと暮らすというのは、テクニックが必要なんだなと身をもって体験した。苦しい時期も結構あったので、これから田舎に引っ越してひっそり暮らしたいという人は、自分と向き合って苦しい思いをすることもあると思うので、この体験を参考にしてみてほしい。


瞑想のテクニックについては何冊か読んだが『頭を「からっぽ」にするレッスン 10分間瞑想でマインドフルに生きる』が一番わかりやすく続けやすかった。ぜひ読んでみてほしい。


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